貴方の見ているドメインは
このページについて
「千光寺さんに使ひをやつたのかい。――誰もまだ行かないつて?――何あんて間抜けだのう。庄どん、お前一つ行つて来とくれ。提灯ちやうちんを忘れるなよ。もう皆さんがお集りですからお迎へに上りました、つて云ふんだよ。うん、うん、さうよ。いつしよにお伴をしておいで」
実際、練吉の滑つこい気持よくふくらんだ頬には、その時ちらりとした微笑の影がさしていた。
やつと、徳次は感心した。青島陥落はついこなひだのことで、その時は徳次も提灯ちやうちん行列に出たのである。
好い座敷には床の間、ちがい棚は設けてあるが、チャブ台もなければ、机もない。茶箪笥や茶道具なども備えつけていないのが多い。近来はどこの温泉旅館にも机、硯すずり、書翰箋しょかんせん、封筒、電報用紙のたぐいは備えつけてあるが、そんなものは一切ない。
町の一部では房一が「席を蹴立てて帰つた」といふ評判だつた。それが何か乱暴でも働いた、といふやうに伝つて、噂を聞いた老父の道平は河場からわざわざ様子を聞きに来た。
「なに?競馬のこと?」
「おう、これか」
「誰でも主人が出なくてはいけないきめでせう。すると、千光寺さんはどういふことになりますかね。坊主が神主の恰好をするのもをかしなもんぢやありませんかね!」
それはさうだ、永いことにちがひない、と房一はゆつくりと歩きつゞけた。多分、彼は彼で、自分のこれからの生涯を、その計りがたく、茫漠とした行手を見ていたのだらう。
気の毒であるから、風呂はわかさなくともいいぜ、と高橋に云うが、彼も私を気の毒がっているらしく、たいておく。親切はありがたいが、気の毒がられるのも、つらい。思うように仕事ができないと、フロたきの人たちに悪いような気持になるので、かえって負担になることがあった。
生返事をしてそのまゝ登つて行く。
「うん、ドイツ兵の捕虜だ」